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錦織圭と福士加代子

スポーツ文化
09 /24 2016
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リオ五輪のテニス競技で

銅メダルを獲得した錦織圭選手と

女子マラソンで

金メダルを狙うと公言していたものの

残念ながら惨敗した福士加代子選手。

このお二人の勝敗を分けた原因に関して

私独自の視点から書いてみます。


http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/tennis/news/1695632.html

錦織圭選手の銅メダル獲得後のコメント↓

「自分の国のために戦うのは

本当に楽しかった。

素直にうれしい」。

「日本にいいニュースを届けたい。

それが、

全力でプレーするモチベーションになる」

▼福士加代子選手の

リオ五輪女子マラソン完走後のコメント

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1608/16/news054.html

「金メダル取れなかったあ!

ほんとしんどかったあ!

暑いけどなんか、しんどすぎて、

いろいろなことがしんどすぎて。

でも金メダル目指したから

最後までがんばれました」

「オリンピックのマラソンは出るもんだね。

楽しいよ」


▲以上、引用終わり。

福士加代子選手の上記のコメント

日本国内でかなり批判されたんですけど、

福士選手の上記のコメントが持つ

「政治的な意味」

より明確に理解するには、

福士加代子選手のコメントを擁護している

アホどもの言葉を見ることです。


例えばこれ↓

https://twitter.com/yoshikimio/status/767957993505771520

「アスリートは国威発揚の道具ではない。

懸命に自己表現する人に敬意を。

炎上などは恥ずかしい国民性。」


リオ五輪女子マラソン完走後の

福士加代子選手のコメントを擁護する

ツイッターのコメントの多くは

↑に引用したコメントの趣旨と

ほぼ同じ内容のものが圧倒的です。


つまり、

福士加代子選手のコメントは

(福士加代子選手本人の

真の意図は

取りあえず置いといて)

「五輪は個人的、私的なもの、

日本の国や

応援している日本国民なんか

何の関係もない」

という

「地球市民的、反国家的、左翼的」



政治的意味を持っていて、


福士加代子選手の

リオ五輪女子マラソン完走後のコメントを

支持しているアホどもも


私のように

批判的に見ている日本人も、


そこ、

つまり、


「五輪は私的、個人的なもので

日本の国や

福士選手を

応援してる日本国民なんか

まったく関係ねえ」

という

政治的メッセージに

反応しているわけです。



ここで私たち

一般の日本国民が注目すべきは、

錦織圭選手の銅メダル獲得後の

「自分の国のために戦うのは

本当に楽しかった。」

「日本にいいニュースを届けたい。

それが、

全力でプレーするモチベーションになる。」


というコメントです。

錦織選手の銅メダル獲得と

福士加代子選手の惨敗という

結果を分けたのは、


「錦織圭選手と福士加代子選手を

純粋に応援している

大多数の普通の日本国民と

錦織選手や福士選手が

精神的に、

つながっていたか、

つながっていなかったか」


という部分だと私は思います。

福士選手の

リオ五輪女子マラソン完走後のコメントには、

「応援している日本国民」



触れた部分が皆無でしたが、


日本の頭のおかしな

反日(反国家的)マスコミ、

反日(反国家的)スポーツマスコミは、

日本の国を代表して

五輪やW杯で戦う様々な競技の

日本のスポーツ選手の皆さんに対して、


「国のためか、自分のためか」

あるいは

「他人のためか、自分のためか」

という

奇妙な二者択一を常に迫ります。

そしてあらゆる手段を用いて

「日本国民や

日本のために

戦ってはいけない」


という方向に

日本の国を代表するスポーツ選手の皆さんを

導こうとします。


為末大のような馬鹿は

この誘導的な詭弁に簡単に引っかかり、


「五輪は

自分のために

戦わなければならない」

という方向に

完全に向かってしまったわけですが、


五輪やW杯で戦う日本人選手は、

「日本代表選手」なのであって、

「日本代表選手」が

日本の国や日本国民を無視して

「テメエの自己満足のためだけに戦う」

ということの

「異常性・不気味さ」に気づきません。

戦後の今の日本以外の

正常な国では、

「自分が住み暮らす国」



そこに住む国民は運命共同体であって、

「敵対する関係」ではありません。

しかし、

日本のマスコミの

圧倒的大勢を占める

反日マスコミ、

反日スポーツマスコミは

「日本の国は日本国民の敵である」

という

「反国家的な政治的スタンス」から

取材報道活動を行っています。

福士加代子選手に関する

雑誌の記事や

TVの特集番組を見ていると、

彼女の中に、


「応援してくれる

日本国民のために

日本のために戦う」


と素直に言えない

精神的葛藤が窺えますが、

その原因は

アテネ五輪女子マラソンで優勝した後

練習のし過ぎで怪我をし

北京五輪を欠場した

野口みずきさんに対して

卑劣な誹謗中傷が

日本国内で寄せられたことが

大きく影響している


と見て間違いないでしょう。

しかし、

おかしくないでしょうか?

以前書いたように、

伝統的日本人の国民性とは、

馬鹿な連中が


「負けたのに

『よくやった』とか言うのは日本人だけ、

そんなヌルイ国民性だから

日本は世界で勝てない。

負けたら徹底的に叩いて

ブーイングするのが世界の常識。」

と批判していたように、

本来は非常に穏やかなものです。


ところが、

練習のし過ぎで怪我をし、

北京五輪の女子マラソンを欠場した

野口みずきさんに対して

日本国内では

野口選手の指導者である

シスメックスの藤田信之監督(当時)へ、

非難の手紙やメールが殺到したという。

福士加代子さんは

野口みずきさんと一緒に合宿したり

長期間共に練習していた↓とのことなので、


http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/05/23/kiji/K20130523005859120.html

当然のことながら、

北京五輪を欠場した野口みずきさんに

日本国内で

卑劣な誹謗中傷が寄せられたことは

知っていたでしょうし、


また、

野口みずきさんや

福士加代子さんの周囲を

取材と称して徘徊している

頭のおかしな

反国家的・反日スポーツライターどもは、

お二人に徹底して


「日本の頭のおかしな

右翼的スポーツファンの

危険性」




「日本の国や

日本国民のために戦うことの

無意味さ」




刷り込んだと見て間違いありません。


その結果、

錦織圭選手の銅メダル獲得の原動力となった

「日本国民や日本の国に対する

愛情や感謝に基づく

前向きな使命感や責任感」



福士加代子さんは

完全に去勢されてしまうと同時に、


本来は無視すべき

「日本の頭のおかしな

右翼的スポーツファンによる

余計なプレッシャー」

ばかりを

意識するように方向づけられ、


それが多大な精神的ストレスとなり、

リオ五輪直前の負傷につながり、

リオ五輪惨敗という結果を導いた。

そういうことだと思います。

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為末大の絶望的な馬鹿さ

スポーツ文化
09 /04 2016
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リオ五輪の女子レスリングで

惜しくも銀メダルに終わった

吉田沙保里さんら

日本の競技スポーツ選手の皆さんが

目標としていた結果に届かなかった際、

試合後謝罪することに関して

元陸上選手の為末大が

批判的立場から

偉そうに説教を垂れてます。

この説教を読めば

為末大という人間の卑しさが

非常によくわかります。

日本選手はなぜ謝るのか/為末大学

▼以下↑から為末大の文章を引用しながら

逐一つっこんでみました。


>現役時代にはあまり気がつかなかったが、

>引退してからミックスゾーンに

>メディア側として立って、

>あらためて感じたのは

>日本選手のインタビューの特異さだ。

>成績が悪かった時のアメリカ選手が、

>自分なりの敗戦理由と

>次の目標を語るのに比べ、


◆それは聞く側の質問の仕方次第。

>涙を流しながら

>「期待に応えられずに申し訳なかった」

>と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。

>日本の選手のインタビューは

>似通っていると言われるが、

>私はその一端に、

>この謝罪の要求というのが

>あるのではないかと思う。

◆正常な日本人は誰も吉田沙保里さんら

日本代表選手の皆さんに対して

謝罪の要求などしていません。

むしろ負けた選手のことを

圧倒的大多数の日本国民は気づかい、

慰めようとしてます。

為末は

「日本人選手のインタビューは似通っている」

と決めつけてますが

スポーツの試合後のコメントが

ある程度似通うのは、

国に関係なく当たり前の話
で、

「試合後のインタビューで

何か奇抜なことを

言わなくてはいけない」

と考える為末こそ異常です。

為末は日本人選手全員に

「チョー気持ちいい」

と叫んででももらいたいのでしょうか?

>負けた原因を分析したら言い訳と批判され、

◆負けた原因の分析は試合の映像を見ながら後ですればいい。

>純粋な感覚を表現すれば

>負けたのにヘラヘラしていると言われる。

◆こういう為末みたいな馬鹿がいるから

北島康介選手のように試合後

「チョー気持ちいい」と叫ぶような選手が出てきます。

北島康介選手は立派な好青年だと思うが

あの「チョー気持ちいい」だけは

同じ日本人として本当に恥ずかしかった。

リオの女子マラソンで完敗した

福士加代子さんも同じですが、

「しんどかった」とか「気持ちよかった」とか

そんな幼稚園児のような

低レベルで個人的で動物的なこと

〝ばかり〟言う

外国人選手は見たことがない。


東日本大震災以降、

日本の国を代表するスポーツ選手の皆さんも、

ラグビーのエディージャパンや

男子フィギュアスケートの羽生結弦選手や

テニスの錦織圭選手や

なでしこジャパンや

女子ソフトボール日本代表の皆さんを始め


自分たちが

〝国を代表する公的な立場〟にあることを自覚して

他の国の代表選手に引けを取らないレベルで

五輪やW杯に挑んでくれるようになってきましたが、

それ以前は本当に酷かったし、

今でも一部の競技には福士加代子選手のように

自身の立場や責任をわかっていない選手も多い。

その原因は何といっても

取材と称して選手の皆さんの周囲をウロついている

吉井妙子や小松成美その他大勢の

日本の馬鹿な

反国家的(反日)スポーツライターどもによる洗脳。

北島選手も福士選手も、

為末大の同類のような

頭のおかしな反国家的スポーツライターに

四六時中、

「いいかい、

日本人は個性がない、

みんな似通ったような優等生発言しかしない、

誰も面白くないんだよ。

せめて君ぐらいは、

試合後のコメントで

個性を出して感情を爆発させてくれよ。」

とでも囁かれていたと見て間違いないが、

日本の頭のおかしな

反国家的(反日的)スポーツライターの狙いは、

試合後の北島選手や福士選手のコメントの内容を

私的で動物的で下等なものに

コントロールすることで、

見ている日本国民に

「北島や福士は、

日本国民や日本の国のことなんか関係なく、

自分の個人的満足のために戦った」

という印象を与えること。

日本の頭のおかしな

反国家的(反日的)スポーツライターどもは、

スポーツの日本代表選手が

日本の国や日本国民のために戦うと

日本人のナショナリズムを煽り、

日本が軍国主義になると狂信し、

ありとあらゆる手を使って、

日本の国を代表するスポーツ選手と

日本の国や日本国民を切り離そうと

常に画策している。


>選手にとっては競技をすることが一番大事だから、

>変なことで社会から反感を買いたくない。

>結局、一番問題が起きにくい

>謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

◆吉田沙保里選手は

「反感を買いたくないから

謝罪したに違いない」



テメエの幼稚で未熟な感覚を

基準にして決めつける

為末大は本当に卑しい人間です。

吉田沙保里さんは

自分のことを

純粋に一所懸命応援してくれる

日本の子供たちや周囲の皆さんや

日本国民に対する

感謝や愛情の裏返しとして、

また何よりも大きいのは

亡くなったお父さんのことを考えて

「期待を裏切って申し訳ない」と

涙を流しながら謝った。


その優しさや思いやりを

日本人であれば理解できるが、

為末大は日本人じゃないので

理解できない。


今後、懸念されるのは、

為末大の同類のような

クズ連中の言葉を真に受けて

(クズ連中とは

日本の頭のおかしな

反国家的スポーツライターのこと)


馬鹿な日本のスポーツ選手が面従腹背、

「表面上だけ、

日本の国や

日本国民のことを考えているような

殊勝なコメントや素振りをしておこう」


というようなやり方を取るようになること。

もし、そうなればその選手は人格的に破綻し、

必ず破滅に向かう。


>選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、

>と私は考えている。

◆謝罪を要求されなくとも、

相手に対する思いやりから

「ごめんね」と謝罪する

それに対して

相手に対する思いやりから

「気にしないで」

と返すことで

正常な日本人の国民性は成り立ってる。


国民性というものは

全体として統一性を保っているものなので

「ごめんね」と謝罪する

日本人の優しさや思いやりが失われれば、

同時に、

「気にしないで」という

日本人の優しさや思いやりも失われる。

そうなるとどうなるか?と言うと、

どこかの野蛮国のように、

「俺は日本の国を代表して

五輪で戦って負けたけど、

俺は俺のために戦って負けただけ

なんか文句あっか?」


とアホな選手が言い、

「負けた奴には

徹底的にブーイングして

叩かないといけない」




アホな国民が喚くようになっちゃう。

その昔(今もか?)

どこかの馬鹿が言ってたよね。

「負けても『よくやった』とか言ってるのは日本人だけ

そういうヌルい国民性だから日本は世界で勝てない。

負けたら徹底的にブーイングして叩くのが世界の常識」


って。

で、こういうこと↑言ってた奴に限って、

「負けて謝る日本人スポーツ選手や

謝罪を要求する日本人の国民性は異常」


とか言ってる。

こういうクズどもを何とかしないといけない。


>1つは、五輪という舞台で

>選手が一体どう感じたのかという、

>その瞬間にその人しか語れない言葉に

>ふたをしてしまう可能性があるということだ。

◆五輪という舞台で、その瞬間に、その場で

自分の動物的な感覚ではなく、

日本国民に対する感謝や愛情から

その期待に応えられなかったことを悔やみ

謝罪した吉田沙保里さんにしか語れない言葉を

上から目線で蔑みつつ憐み貶め、

フタをしようとしているのは為末大です。

>勝ち負けを超えて、

>世界の頂点の舞台で感じたことや、

>やろうとしたことを聞けるのは、

>社会にとって大きな学びになるはずだ。

◆そんなことは試合直後のコメントで言わなくとも、

日本代表選手の皆さんは

著書を出すなりなんなりしてやってくれている。

そしてまた、

国を代表するスポーツ選手の皆さんから

日本国民が学ぶべき貴重な教訓を、

テメエらが狂信する

頭のおかしな反国家的イデオロギーに基づき

徹底的に歪めたり隠ぺいしたり、

情報操作して

日本国民に伝わらないように

常に画策しているのも

為末大の同類の日本の頭のおかしな

反国家的(反日的)スポーツライターです。

>もう1つは、この国から挑戦心がなくなってしまうことだ。

>彼らは長い間トレーニングをしてきて、

>挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちだ。

>その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、

>最後の結果だけで批判をする。

>そうなれば子供たちも社会も、

>挑戦をすること自体をやめていく。

>一体どの程度の割合で

>批判をしている人がいるかというと、

>私はごく少数ではないかと考えている。

>私も含め多くの人は挑戦自体が素晴らしいし、

>一生懸命やってきたのは自分なんだから、

>自分の気持ちを

>素直に出せばいいと感じていると思う。

◆繰り返しますが

残念ながら金メダルに届かなかった

吉田沙保里さんの試合結果を

圧倒的大多数の

正常な日本国民は批判などしていないし、

謝罪も要求してません。

正常な日本国民は為末大とは違って

彼女を

「日本人の国民性に対する蔑み」から

憐れむのではなく、

彼女の謝罪の裏側にある

「伝統的日本人の素晴らしい美徳」

と言える、

「日本の国を代表している責任感」



「日本国民に対する愛情や思いやりの強さ」

に感動し、感謝しているだけです。


「自分の気持ちを素直に出せ」と為末は言いますが、

国を代表して五輪やW杯で戦う選手が

福士加代子さんのように

自分の国や自国民を無視するかのように

表面上は見て取れる無責任な発言を

試合後にすれば、

世界中どこの国でも叩かれます。

(しかも、

そういう叩かれるような内容のコメントを

福士選手にさせるように仕向けたのも間違いなく

福士選手の周囲を取材と称してウロツキまわっている

為末大の同類のような

日本の頭のおかしな

反国家的スポーツライターどもです。)

そんなことは世界の常識で、

国家がスポーツを国威発揚の道具に使っている

チャイナや韓国では特に

日本の何万倍も酷いバッシングが選手を待っている。

サッカー王国のブラジルも完全にそうです。

>日本はこれから厳しい局面を迎える。

>超高齢社会を迎える中で、

>挑戦できる人たちが

>自分らしく挑戦をしていかないと生産性も高まらず、

>国が衰退していく。

◆今現在、

日本が厳しい局面を迎えているのは、

為末大のように

日本人の伝統的国民性や

世界に通用する日本人の素晴らしい美徳を

マイナスの側面からしか見ない低能どもが

改革と称して、

「日本人や日本の国の本来の強み」



破壊することばかり

この何十年やってきた結果です。

政治家や役人を含め全ての日本人が

テメエの私利私欲に基づくのではなく、

吉田沙保里選手や

錦織圭選手や羽生結弦選手のように、

「日本の国を背負っているという責任感」



「日本の国を元気づけたい」

という気持ちをモチベーションにして

何事にもチャレンジしていけば

日本の国は未来永劫に繁栄し続けるでしょう。


>結果は運だが、挑戦は意思だ。

>挑戦をするという意思を持って

>厳しいトレーニングをし、その場に立った。

>結果の前にそのことをまず尊敬し、

>そこから姿勢を学ぼうとする

>社会であってほしいと私は思う。

◆日本人の伝統的国民性や美徳を

日本人を蔑む卑しい観点から

徹底的に貶め、

上から目線で偉そうに

日本国民に対してお説教を垂れ、

誰かの名言をパクって締めにして悦に入る

為末大のようなクズのいない

健全で誇りある日本社会であってほしいと

私は切に思う。

【為末大】

(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)


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多聞兵衛