錦織圭と福士加代子
スポーツ文化
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リオ五輪のテニス競技で
銅メダルを獲得した錦織圭選手と
女子マラソンで
金メダルを狙うと公言していたものの
残念ながら惨敗した福士加代子選手。
このお二人の勝敗を分けた原因に関して
私独自の視点から書いてみます。
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/tennis/news/1695632.html
錦織圭選手の銅メダル獲得後のコメント↓
「自分の国のために戦うのは
本当に楽しかった。
素直にうれしい」。
「日本にいいニュースを届けたい。
それが、
全力でプレーするモチベーションになる」
▼福士加代子選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメント
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1608/16/news054.html
「金メダル取れなかったあ!
ほんとしんどかったあ!
暑いけどなんか、しんどすぎて、
いろいろなことがしんどすぎて。
でも金メダル目指したから
最後までがんばれました」
「オリンピックのマラソンは出るもんだね。
楽しいよ」
▲以上、引用終わり。
福士加代子選手の上記のコメント
日本国内でかなり批判されたんですけど、
福士選手の上記のコメントが持つ
「政治的な意味」を
より明確に理解するには、
福士加代子選手のコメントを擁護している
アホどもの言葉を見ることです。
例えばこれ↓
https://twitter.com/yoshikimio/status/767957993505771520
「アスリートは国威発揚の道具ではない。
懸命に自己表現する人に敬意を。
炎上などは恥ずかしい国民性。」
リオ五輪女子マラソン完走後の
福士加代子選手のコメントを擁護する
ツイッターのコメントの多くは
↑に引用したコメントの趣旨と
ほぼ同じ内容のものが圧倒的です。
つまり、
福士加代子選手のコメントは
(福士加代子選手本人の
真の意図は
取りあえず置いといて)
「五輪は個人的、私的なもの、
日本の国や
応援している日本国民なんか
何の関係もない」
という
「地球市民的、反国家的、左翼的」
な
政治的意味を持っていて、
福士加代子選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメントを
支持しているアホどもも
私のように
批判的に見ている日本人も、
そこ、
つまり、
「五輪は私的、個人的なもので
日本の国や
福士選手を
応援してる日本国民なんか
まったく関係ねえ」
という
政治的メッセージに
反応しているわけです。
で
ここで私たち
一般の日本国民が注目すべきは、
錦織圭選手の銅メダル獲得後の
「自分の国のために戦うのは
本当に楽しかった。」
「日本にいいニュースを届けたい。
それが、
全力でプレーするモチベーションになる。」
というコメントです。
錦織選手の銅メダル獲得と
福士加代子選手の惨敗という
結果を分けたのは、
「錦織圭選手と福士加代子選手を
純粋に応援している
大多数の普通の日本国民と
錦織選手や福士選手が
精神的に、
つながっていたか、
つながっていなかったか」
という部分だと私は思います。
福士選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメントには、
「応援している日本国民」
に
触れた部分が皆無でしたが、
日本の頭のおかしな
反日(反国家的)マスコミ、
反日(反国家的)スポーツマスコミは、
日本の国を代表して
五輪やW杯で戦う様々な競技の
日本のスポーツ選手の皆さんに対して、
「国のためか、自分のためか」
あるいは
「他人のためか、自分のためか」
という
奇妙な二者択一を常に迫ります。
そしてあらゆる手段を用いて
「日本国民や
日本のために
戦ってはいけない」
という方向に
日本の国を代表するスポーツ選手の皆さんを
導こうとします。
為末大のような馬鹿は
この誘導的な詭弁に簡単に引っかかり、
「五輪は
自分のために
戦わなければならない」
という方向に
完全に向かってしまったわけですが、
五輪やW杯で戦う日本人選手は、
「日本代表選手」なのであって、
「日本代表選手」が
日本の国や日本国民を無視して
「テメエの自己満足のためだけに戦う」
ということの
「異常性・不気味さ」に気づきません。
戦後の今の日本以外の
正常な国では、
「自分が住み暮らす国」
と
そこに住む国民は運命共同体であって、
「敵対する関係」ではありません。
しかし、
日本のマスコミの
圧倒的大勢を占める
反日マスコミ、
反日スポーツマスコミは
「日本の国は日本国民の敵である」
という
「反国家的な政治的スタンス」から
取材報道活動を行っています。
福士加代子選手に関する
雑誌の記事や
TVの特集番組を見ていると、
彼女の中に、
「応援してくれる
日本国民のために
日本のために戦う」
と素直に言えない
精神的葛藤が窺えますが、
その原因は
アテネ五輪女子マラソンで優勝した後
練習のし過ぎで怪我をし
北京五輪を欠場した
野口みずきさんに対して
卑劣な誹謗中傷が
日本国内で寄せられたことが
大きく影響している
と見て間違いないでしょう。
しかし、
おかしくないでしょうか?
以前書いたように、
伝統的日本人の国民性とは、
馬鹿な連中が
「負けたのに
『よくやった』とか言うのは日本人だけ、
そんなヌルイ国民性だから
日本は世界で勝てない。
負けたら徹底的に叩いて
ブーイングするのが世界の常識。」
と批判していたように、
本来は非常に穏やかなものです。
ところが、
練習のし過ぎで怪我をし、
北京五輪の女子マラソンを欠場した
野口みずきさんに対して
日本国内では
野口選手の指導者である
シスメックスの藤田信之監督(当時)へ、
非難の手紙やメールが殺到したという。
福士加代子さんは
野口みずきさんと一緒に合宿したり
長期間共に練習していた↓とのことなので、
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/05/23/kiji/K20130523005859120.html
当然のことながら、
北京五輪を欠場した野口みずきさんに
日本国内で
卑劣な誹謗中傷が寄せられたことは
知っていたでしょうし、
また、
野口みずきさんや
福士加代子さんの周囲を
取材と称して徘徊している
頭のおかしな
反国家的・反日スポーツライターどもは、
お二人に徹底して
「日本の頭のおかしな
右翼的スポーツファンの
危険性」
や
「日本の国や
日本国民のために戦うことの
無意味さ」
を
刷り込んだと見て間違いありません。
その結果、
錦織圭選手の銅メダル獲得の原動力となった
「日本国民や日本の国に対する
愛情や感謝に基づく
前向きな使命感や責任感」
を
福士加代子さんは
完全に去勢されてしまうと同時に、
本来は無視すべき
「日本の頭のおかしな
右翼的スポーツファンによる
余計なプレッシャー」
ばかりを
意識するように方向づけられ、
それが多大な精神的ストレスとなり、
リオ五輪直前の負傷につながり、
リオ五輪惨敗という結果を導いた。
そういうことだと思います。
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銅メダルを獲得した錦織圭選手と
女子マラソンで
金メダルを狙うと公言していたものの
残念ながら惨敗した福士加代子選手。
このお二人の勝敗を分けた原因に関して
私独自の視点から書いてみます。
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/tennis/news/1695632.html
錦織圭選手の銅メダル獲得後のコメント↓
「自分の国のために戦うのは
本当に楽しかった。
素直にうれしい」。
「日本にいいニュースを届けたい。
それが、
全力でプレーするモチベーションになる」
▼福士加代子選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメント
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1608/16/news054.html
「金メダル取れなかったあ!
ほんとしんどかったあ!
暑いけどなんか、しんどすぎて、
いろいろなことがしんどすぎて。
でも金メダル目指したから
最後までがんばれました」
「オリンピックのマラソンは出るもんだね。
楽しいよ」
▲以上、引用終わり。
福士加代子選手の上記のコメント
日本国内でかなり批判されたんですけど、
福士選手の上記のコメントが持つ
「政治的な意味」を
より明確に理解するには、
福士加代子選手のコメントを擁護している
アホどもの言葉を見ることです。
例えばこれ↓
https://twitter.com/yoshikimio/status/767957993505771520
「アスリートは国威発揚の道具ではない。
懸命に自己表現する人に敬意を。
炎上などは恥ずかしい国民性。」
リオ五輪女子マラソン完走後の
福士加代子選手のコメントを擁護する
ツイッターのコメントの多くは
↑に引用したコメントの趣旨と
ほぼ同じ内容のものが圧倒的です。
つまり、
福士加代子選手のコメントは
(福士加代子選手本人の
真の意図は
取りあえず置いといて)
「五輪は個人的、私的なもの、
日本の国や
応援している日本国民なんか
何の関係もない」
という
「地球市民的、反国家的、左翼的」
な
政治的意味を持っていて、
福士加代子選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメントを
支持しているアホどもも
私のように
批判的に見ている日本人も、
そこ、
つまり、
「五輪は私的、個人的なもので
日本の国や
福士選手を
応援してる日本国民なんか
まったく関係ねえ」
という
政治的メッセージに
反応しているわけです。
で
ここで私たち
一般の日本国民が注目すべきは、
錦織圭選手の銅メダル獲得後の
「自分の国のために戦うのは
本当に楽しかった。」
「日本にいいニュースを届けたい。
それが、
全力でプレーするモチベーションになる。」
というコメントです。
錦織選手の銅メダル獲得と
福士加代子選手の惨敗という
結果を分けたのは、
「錦織圭選手と福士加代子選手を
純粋に応援している
大多数の普通の日本国民と
錦織選手や福士選手が
精神的に、
つながっていたか、
つながっていなかったか」
という部分だと私は思います。
福士選手の
リオ五輪女子マラソン完走後のコメントには、
「応援している日本国民」
に
触れた部分が皆無でしたが、
日本の頭のおかしな
反日(反国家的)マスコミ、
反日(反国家的)スポーツマスコミは、
日本の国を代表して
五輪やW杯で戦う様々な競技の
日本のスポーツ選手の皆さんに対して、
「国のためか、自分のためか」
あるいは
「他人のためか、自分のためか」
という
奇妙な二者択一を常に迫ります。
そしてあらゆる手段を用いて
「日本国民や
日本のために
戦ってはいけない」
という方向に
日本の国を代表するスポーツ選手の皆さんを
導こうとします。
為末大のような馬鹿は
この誘導的な詭弁に簡単に引っかかり、
「五輪は
自分のために
戦わなければならない」
という方向に
完全に向かってしまったわけですが、
五輪やW杯で戦う日本人選手は、
「日本代表選手」なのであって、
「日本代表選手」が
日本の国や日本国民を無視して
「テメエの自己満足のためだけに戦う」
ということの
「異常性・不気味さ」に気づきません。
戦後の今の日本以外の
正常な国では、
「自分が住み暮らす国」
と
そこに住む国民は運命共同体であって、
「敵対する関係」ではありません。
しかし、
日本のマスコミの
圧倒的大勢を占める
反日マスコミ、
反日スポーツマスコミは
「日本の国は日本国民の敵である」
という
「反国家的な政治的スタンス」から
取材報道活動を行っています。
福士加代子選手に関する
雑誌の記事や
TVの特集番組を見ていると、
彼女の中に、
「応援してくれる
日本国民のために
日本のために戦う」
と素直に言えない
精神的葛藤が窺えますが、
その原因は
アテネ五輪女子マラソンで優勝した後
練習のし過ぎで怪我をし
北京五輪を欠場した
野口みずきさんに対して
卑劣な誹謗中傷が
日本国内で寄せられたことが
大きく影響している
と見て間違いないでしょう。
しかし、
おかしくないでしょうか?
以前書いたように、
伝統的日本人の国民性とは、
馬鹿な連中が
「負けたのに
『よくやった』とか言うのは日本人だけ、
そんなヌルイ国民性だから
日本は世界で勝てない。
負けたら徹底的に叩いて
ブーイングするのが世界の常識。」
と批判していたように、
本来は非常に穏やかなものです。
ところが、
練習のし過ぎで怪我をし、
北京五輪の女子マラソンを欠場した
野口みずきさんに対して
日本国内では
野口選手の指導者である
シスメックスの藤田信之監督(当時)へ、
非難の手紙やメールが殺到したという。
福士加代子さんは
野口みずきさんと一緒に合宿したり
長期間共に練習していた↓とのことなので、
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/05/23/kiji/K20130523005859120.html
当然のことながら、
北京五輪を欠場した野口みずきさんに
日本国内で
卑劣な誹謗中傷が寄せられたことは
知っていたでしょうし、
また、
野口みずきさんや
福士加代子さんの周囲を
取材と称して徘徊している
頭のおかしな
反国家的・反日スポーツライターどもは、
お二人に徹底して
「日本の頭のおかしな
右翼的スポーツファンの
危険性」
や
「日本の国や
日本国民のために戦うことの
無意味さ」
を
刷り込んだと見て間違いありません。
その結果、
錦織圭選手の銅メダル獲得の原動力となった
「日本国民や日本の国に対する
愛情や感謝に基づく
前向きな使命感や責任感」
を
福士加代子さんは
完全に去勢されてしまうと同時に、
本来は無視すべき
「日本の頭のおかしな
右翼的スポーツファンによる
余計なプレッシャー」
ばかりを
意識するように方向づけられ、
それが多大な精神的ストレスとなり、
リオ五輪直前の負傷につながり、
リオ五輪惨敗という結果を導いた。
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