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映画「東京喰種」は日本の子供たちに対する精神的テロ

政治
07 /24 2017
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1人でも多くの日本国民の皆様に

日本の危機↓を拡散してください。




お願いします。



「東京喰種(グール)」という

人肉を貪り食う描写に満ちた

漫画原作の映画が

今月二十九日に公開されますが、

この「東京喰種(グール)」という作品は


日本の若者に対する精神的なテロです。

より具体的に言うと、

この「東京喰種(グール)」製作の目的は

まだ人格が完成されていない

未成熟な日本の子供たちの精神を

神戸連続児童殺傷事件の犯人である

少年Aこと酒鬼薔薇聖斗のような

殺人鬼的人格の狂人に人格改造し、

日本に

第二、第三の酒鬼薔薇聖斗を

大量に出現させることです。


以下の文章は

神戸連続児童殺傷事件に関して

文藝春秋二〇一四年十月号に掲載された


◆人を殺すわが子に親ができること◆

(柳田邦男)から抜粋引用しました。

▼以下抜粋、引用。

前略

(神戸連続児童殺傷事件の犯人

少年Aこと酒鬼薔薇聖人は)


殺すこと自体が「愉快でたまらない」

という衝動に突き動かされているのだから、

人格に重大な障害があるのは確かだ。

では、なぜそのような衝動が生じるのか。

家庭裁判所から精神鑑定を依頼されたのは、

神戸大学医学部精神科教授を退官した

中井久夫氏だった。

中井氏は少年Aに対して

十二回に及ぶ面接を行ったが、

少年Aはなぜ人を殺すのが愉快なのか、

その動機を明らかにするために、

最初から単刀直入に質問を発したという。

「マスターベーションの時、

頭の中にどんなイメージが浮かぶのか」

と。

少年の答えは率直なものだった。

「人間の腹を裂き、

内臓に噛み付き、

貪り食うシーンです」


中略

やがて中学に進んでからは、

人を殺す幻想にふけることが多くなり、

人肉を貪り食う場面を思い浮かべて

マスターベーションをするようになった。


後略

▲以上引用終わり

【ぬぐえぬ影 連続児童殺傷20年(下)】

次に↑の産経新聞の記事から

以下引用です。



《酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)くん

32歳の誕生日おめでとう♪》


平成26年の夏、

神戸連続児童殺傷事件の

加害男性(34)の誕生日を祝うメッセージが突然、

ツイッターに書き込まれた。


この人物は、5カ月ほどたった12月7日には

「ついにやった」という謎の書き込みを残している。

何を意味していたのか。

この日、

名古屋市のアパート一室を訪ねた

女性=当時(77)=が殺害された。


翌年1月末、殺人容疑で逮捕された

この部屋に住む名古屋大の元女子学生(21)=退学=が

ツイッターの発言主だった。

強い殺人願望を抱き、

高校時代には同級生らに

劇物の硫酸タリウムを飲ませ殺害を図っていた。

今年2月、

名古屋地裁の公判に出廷した母親の証言によると、

元女子学生は中学生のころに

神戸連続児童殺傷事件を知り、

「同じ年の人がそんなことできるなんてすごい」

と強い興味を抱いたとされる。


後略

▲以上引用終わり。

さらに以下の文章を

映画「東京喰種(グール)」の主役級女優

清水富美加さんの著書

「全部、言っちゃうね。」から抜粋引用。




前略

映画製作者、共演者さんはじめ、

マンガの作者さんも、

「おもしろいものをつくりたい」

という思いはみんな一緒だと思うんです。


けど、それでも、

その作品が人を救うものであればいいけれども、


残酷な心や、

人を傷つけることに

快感を感じるような心を

植えつけてしまう可能性があるとしたら、

それは申し訳ないけれども・・・・

そこに自分がたずさわるのは、

やっぱりつらいなあと思ってしまいます。

中略

自分の考えがわからなくなって、

どんどんいろんな仕事をして、

その中にはもう、はっきり言って、

〝悪魔のお手伝い〟

のようなことをしてしまったのも

あったんじゃないかって思うと、

つらいです。


後略

▲以上、引用終わり。

神戸連続児童殺傷事件の

酒鬼薔薇聖斗に憧れ

人を殺した

名古屋大の女子学生の例に見られるように、


人格がまだ未成熟な時期には、

「反社会的あるいは

不気味で邪悪な行為や言動」




肯定的に見て

憧れてしまうようなことが

往々にしてあります。


だからこそ、

かつてフランスにおいて

「子供の人権」に関する議論が起こった当時、

哲学者のフィンケルクロートは

「『子供はもう市民だ!』という考え方は

極めて危険な考え方である。

子供を完成した人格として見ることは、

子供たちの基本的な特徴である

軽率さ、のんきさ、無責任さを

残酷に否定してしまうことになるだけでなく、

無防備である子供を、

あらゆる社会的影響力や欲望に

そのままさらすことになる。

子供を大人と同等扱いしたり、

彼の選択を無批判に認めたりすることは、

彼を尊重したり守ったりすることにはならない。

かえって子供を煽動して

利用しようとする人々のえじきにしてしまう。

【子供が市民になるためには

彼はその準備をしなければならない】

と言ったのはコンドルセとカントだが、

逆に

【ちがう!子供は市民だ!】

と言ったのは、

ヒトラー、ポル・ポト・・・・・

スターリンだったではないか」


と述べて

「子供の権利を大人と同等に認めろ」

という

左翼のキチガイじみた主張に反撃したのです。


(ヒトラー、ポルポト、スターリンは

いずれも社会主義者の大量殺人鬼。

ヒトラーのナチスの正式名称は

日本語に翻訳すると

国民社会主義ドイツ労働者党。

民進党にも社会主義者は多いですが

右翼にせよ左翼にせよ

社会主義者が独裁的権力を握ると

殺人鬼になる可能性が高い。

このことは肝に銘じておきましょう。)


「東京喰種(グール)」の主役級女優である

清水富美加さんは

「東京喰種(グール)」の撮影によって

精神を病んだことが一因となって

芸能界を引退しましたが、

清水富美加さんが指摘するように

「残酷な心や、

人を傷つけることに

快感を感じるような心を

植えつけてしまう可能性がある」


「その映画に出て役を演じることが

悪魔のお手伝いになる」


ような

そんなキチガイじみた作品を

絶対に作ってはいけませんし、

日本の子供たちに絶対に見せてはなりません。


「東京喰種(グール)」原作者の

石田スイ

実写版の映画監督

萩原健太郎を始め

この漫画と映画の製作を

主導的に進めた連中は

いかなる意図があって

どのようなメッセージを込めて

このような作品を世に送り出し、

日本の子供たちに見せようと考えたのか

それを公の場で説明すべきです。


私は

漫画「東京喰種(グール)」の原作者の

石田スイや

舞台・映画等の製作に

主導的立場を果たした萩原健太郎らは、

日本人に対する殺意、

日本の子供たちに対する殺意を込めて

このような

キチガイじみた漫画や映画を

作ったのだと確信しています。


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ラグビー田中史朗の叡智と幕末の剣聖・山岡鉄舟先生

スポーツ文化
07 /19 2017
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北朝鮮と小池百合子都知事の関係↓





「国家百万の生霊に代わって

生を捨つるは

素(もと)より余が欲するところなり。」


(「自分の命と引き換えに

多くの日本国民の生命を救えるなら

自分の望むところだ」)


↑の言葉は、

幕末、戊辰戦争の最中に、

徳川家の安泰と

江戸無血開城を実現するため

(江戸の庶民を戦禍から救うために)

江戸へ攻め上る官軍総司令官

西郷隆盛との会談に向かう際の

剣聖・山岡鉄舟先生のものです。

(鉄舟先生は幕府の家来・旗本です。)

以前にもご紹介させて頂きましたが

ラグビー日本代表の田中史朗選手は、

二〇一五年のラグビーW杯に臨むにあたり

奥さんの智美さんに対して


「自分が死んだら新しい良い人を見つけてほしい」

という言葉を伝えていました。

何故、

田中史朗選手は

ラグビーW杯に臨むに際し

死を覚悟する必要があったのか?

平和な時代の今の日本に生きる

凡人の我々には理解するのが難しいですが

山岡鉄舟先生に関する著書の中に、

その答えが明確に示されていました。

以下にご紹介したいと思いますが、

その前に皆さんに分かりやすいように

当時の状況を少し説明すると、

鳥羽伏見の戦いで幕府軍が薩長に敗れ

徳川慶喜公が江戸に帰り、

官軍となった薩長および新政府軍に対して

(官軍とは天皇陛下の軍という意味)

「自分(徳川慶喜公)は今後は抵抗しない」



上野の寛永寺に慶喜公が謹慎し、

何度も官軍に対して様々な方向から使者を通じ

「恭順の意」を示したものの、

西郷隆盛率いる官軍側は

「徳川家を完全に潰すまで戦争は止めない」

として

東海道を攻め上ってきており、

官軍の本営は駿府(今の静岡県)に到着し、

そこからさらに官軍の先鋒は

江戸へ向けて怒涛の進撃を続けていて

東海道は

銃を持った薩長の兵で充満しており、

普通に考えると、

慶喜公の使者として

駿府へ向かう当時全く無名の

旗本・山岡鉄舟先生に

西郷隆盛と会談できる可能性は全くなかったし、

生きて駿府にたどり着ける可能性も九割方ない。

そういう状況でした。

そういう状況の中、

当時、幕府高官だった勝海舟は

鉄舟先生に対して次のように尋ねます。

以下、津本陽著


「勝つ極意 生きる極意(講談社文庫)」

から抜粋引用します。

▼以下、引用

「貴公が駿府に着くまでに、

官軍の陣営にさえぎられるであろうが、

いかようにして突破するか?」


鉄舟は答えた。

「臨機応変は拙者の胸中にござる。

虎口裏に身を横たえる気合じゃ」


官軍の営中に到着すれば、

自分は必ず斬られるか縛されるかのいずれかであろう。

そうなれば自分は双刀を彼らに渡し、尋常に縛につく。

斬るというのなら斬られてやろう。

なにごとも先方に任して処置をうけるが、

敵兵もまた人間である。

是非曲直を問わずに、

無暗に人を殺すわけでもなかろう。

自分の意中をつくす機会は、

なんらかの形で与えてくれるであろうと、

鉄舟はわが意をのべた。


海舟は鉄舟の臨機応変の話を聞き、彼を信じた。

「これが本当だよ。

もしこれを他人にしたならば、

チャンと前から計画するにちがいない。

そんな事では網を張って鳥を得んと思うのたぐいだ。

決して相手はそうくるとは決まっていないからなあ。

ところが山岡なぞは作戦計画はなさずして

作戦計画ができているのだから、

抜け目があるとでも評しようよ。

まあごらんよ。

彼が西郷との談判工合やら、

敵軍中を往来すること、

あたかも坦途広路(平坦な広い道)をゆくが如く、

真に臨機応変のところ、ほとほと感心なるものだ」


鉄舟は剣の修練によって自得した奥儀の呼吸によって、

難局を見事に打開することになったのである。


中略

兵器をたずさえ、

路上の両側に集結する官軍部隊のただなかを

鉄舟は悠々と通過した。

「その中央を通行するに、とむる人なし」という有様である。

鉄舟は殺活自在、神通無碍の剣の呼吸で、

危地にのぞみ、

狐疑、動揺するところまったくなかったのにちがいない。

「隊長の宿営と見ゆる家に到り、

案内を乞わずして立入り、

隊長をたずぬるに、是なるべしと思う人あり。

(後に聞けば篠原国幹なりしと)

すなわち大音にて、

朝敵徳川慶喜家来山岡鉄太郎、

大総督府へ通ると断りしに、

その人、徳川慶喜、徳川慶喜と、

ふた声小音にていいしのみ、

この家に居合す人、およそ百人ばかりと思えども、

ただ予がほうを見たるばかりなり」


豪勇篠原国幹が気をのまれ、

返答もなりがたいうちに、

鉄舟たちは風のように去っていた。


(注・篠原国幹は薩摩藩士、

人斬り半次郎として恐れられた

桐野利秋と並ぶ示現流の達人

明治新政府の陸軍少将)

▲以上、抜粋引用おわり。

ラグビー日本代表の田中史朗選手は何故

二〇一五年のラグビーW杯の前に

死を覚悟する必要があったのか?

その理由は鉄舟先生が言われているように、


「戦いの場で、

臨機応変の判断を的確にくだすためには

死の恐怖を克服して

精神の自由を得る必要がある」


という事だと思われます。

そして鉄舟先生が

「国家百万の生霊に代わって生を捨つるは

素(もと)より余が欲するところなり」




戦禍に巻き込まれた際の

江戸の庶民の苦しみを想う事で

死地に赴く勇気を奮い起したのと同じように、

ラグビー日本代表の田中史朗選手↓は



ラグビーの試合中や練習中の恐怖を

「チームのために、日本のために」



常に思うことで克服しました。

(田中選手は自分のためではなく、

日本のためにラグビーW杯を戦おうと思ったからこそ

死ぬ覚悟ができたのだと思います。)

私たちが聞きなれた

また

日本のスポーツマスコミに馬鹿にされてきた

「死ぬ気で戦おう」という言葉には

こんなに深い意味があったんですね。


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増田俊也という狂人

スポーツ文化
07 /16 2017
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今の我が国の

代表的なフェイク(嘘)ニュースの一例を

ロザン宇治原が暴いた動画↓






在日コリア人の作家・伊集院静は

かつて週刊誌上で

元プロ野球選手の清原和博氏に関し、

「巨人移籍後の清原↓と

巨人 清原

西武ライオンズ時代の清原↓を比較すると

西武 清原

巨人移籍後の清原が本当の清原だ」

というニュアンスのことを述べていました。

(もちろん清原氏が

覚せい剤所持等で

逮捕される以前のことです)

また、

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

という著書で知られる

作家の増田俊也は

不世出の偉大な柔道家

木村政彦先生に関し


「大東亜戦争の敗戦後、

身を持ち崩し、

酒と女に溺れた一時期の

木村政彦先生」



「若き日の理想に燃えた

戦前もしくは戦時中の

無敵の木村政彦先生」↓
を比較し

木村政彦先生

「戦後に身を持ち崩し

酒と女に溺れた時代こそが

木村政彦の全盛期であり、

最も木村が強かった時代だ」




自著その他で

何度も繰り返し述べています。


伊集院静は学生運動くずれで

元極左の在日コリア人であり、

増田俊也も

恐らく日本人ではないと思われますが、

増田俊也と伊集院静の狂った言説は

大東亜戦争敗戦後に

日本国民の純粋無垢な国民性が

徐々に破壊され

醜いものに変質させられつつある

その理由を我々に教えてくれています。


伊集院と増田の言説の中にある

その「思想」を

もっと噛み砕いて言うと


「人格高潔な人間より、

無法者のほうが

競技者として常に優れている」

(木村政彦先生は

一時期オノレを見失っただけで、

無法者ではありませんし、

上記のような書き方をするのは、

木村政彦先生を敬愛する者の一人として

大変心苦しく、

木村先生に対して失礼だとは思いますが、

木村先生を持ち上げる風を装って

木村先生を徹底的に貶める

狂人の増田俊也の意図を明らかにするために

あえて上記のような書き方をしました。)

こういうことです。

この

「人格高潔な人間より

無法者のほうが常に

競技者として優れている」


という

狂った思想こそが

スポーツマスコミを含め

今の日本のマスコミ関係者の報道に

通底するものです。


「覚せい剤の使用、所持」以前に、

巨人移籍後の清原氏の言動は、


「俺の野球人生はくじ引きで決められた云々」

「被害者意識」に満ちたものになっていて

「西武ライオンズ時代

純粋に野球に打ち込んでいた

当時の清原氏」

とは

「面構え」から「目つき」から

その風貌が

完全に別人のものに変わっており、

そういう清原氏を


「本当の清原だ」

と述べた

在日コリア人で

学生運動くずれの作家・伊集院静と


「我が国の御皇室に対する

篤い尊崇の念に基づく

日本人、日本国民としての

絶対的な誇りや自信」



大東亜戦争の敗戦によって

著しく傷つけられた結果、

酒と女に溺れ、己を見失った

一時期の木村政彦先生


(若き日、無敵だった木村政彦先生は

勝負に負けた際、

自分の腹を切るための短刀を

常に持ち歩いていました。

そういう時代の木村先生よりも

力道山との八百長試合に加担し

途中から急に一方的に

本気で殴り、蹴り出した

在日コリア人の

力道山に騙し討ちにされ、

無残な目に会った

その当時の

木村先生のほうが強かった。と

増田俊也は主張するのです。

なんとも

日本人を、木村政彦先生を馬鹿にしきった

狂った言説ではありませんか。)


木村の柔道人生で一番強かった時代だ

と主張する増田俊也は双子のようです。

もう皆さんお分かりのように、

大相撲の元横綱・朝青龍や白鵬を

賛美したり、

擁護したりする狂った言説は

主として

頭のおかしな反日コリア人が

その震源地であり、

伊集院静や増田俊也と

全く同じ狂った思想を共有する同志です。


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多聞兵衛