fc2ブログ

日本の頭のおかしなサッカーマスコミの倒錯と悪意に満ちた謀略煽動

スポーツ文化
10 /29 2022
応援クリック↓


人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



よろしくお願いします。








前回のブログ↓で、

オシムさんが夢見た理想の日本代表

元サッカー日本代表監督オシムさんの

故郷サラエボでの幼少期の話を

ご紹介したが↓







サラエボの貧民街では、

人々は良い意味でも悪い意味でも

ハーモニーの中で暮らしていた。

できる限り、近所の人々と

助け合うことが一番大事なことだった。

例えば、隣りに住んでいる老女のために、

自ら進んで買い物を済ませてやる、

といった具合である。

助け合う心がない子供は

家の恥であり、

両親の面汚しだった。



中略



縫物の内職をしていた

イヴァン(オシムさん)の母親は、

炭についてはひとつの基本方針を持っていた。

近所に炭の配達があると、

息子(オシムさん)をその家に送り込み、

炭運びを手伝わせるのだ。

「カチカチに凍ってしまった手と炭の感触は、

今でも鮮明に思い出すことができる。

あの炭なしには

サラエボの長く厳しい冬を

越すことができなかった」

とオシムはしばしば回想する。







一九九四年のサッカーW杯アメリカ大会で

優勝した当時のサッカーブラジル代表主将で

日本のJリーグジュビロ磐田でも活躍した

ドゥンガもオシムさんと同じように

「助け合い」について

自著「セレソン」に書いている↓。







前略


一回、一回のトレーニングは戦争だった。

常に集中して、

自分が監督を満足させているか

どうかを確かめていた。

単に監督の、

その選手を気に入る、

気に入らないという感情で

事が決まってしまうこともあるからだ。



中略



そんなプレッシャーに負けて

プロフェッショナルになれなかった

選手はあまりにも多い。

だが同情している暇はない、

自分はどんな問題でも乗り越えられるんだ、

ということを見せつけなければならない。

それが競争というものだ。

プロフェッショナルになったらなったで

その後はもっと強いプレッシャーが

待ち受けているのだから。

ただ、グラウンドでは

非情な競争があったにもかかわらず、

私はこの時代に

多くの友情を得ることができた。

本当の競争があったからこそ、

それを手に入れることができたと

いうべきかもしれない。



中略



私たちはそれぞれのポジションで、

ベストを尽くした。

と同時に私は、

ただひとり目立って

競争から抜け出すことよりも、

お互いに協力し合って

チームが試合に勝つことを

優先すべきだと考えるようになった。

そしていったんグラウンドを離れたら、

厳しい生活から

自分を守るために助け合った。

週末になると、

クラブの近くに住んでいる友達の家に

転がり込んだものだ。




後略



▲以上、引用終わり。




日本の反日サッカーライター

日本の反日スポーツライターの書く記事の中に

「サッカー日本代表の

チームメイト同士は

互いに助け合う必要がある」


という趣旨のものは皆無である。

何故なら、

日本の反日サッカーマスコミ

日本の反日スポーツマスコミの

倒錯し左傾化した脳内
では

「助け合い=もたれあい=依存」

ということになっていて

突出した個の力を持つ優れた選手は

一人で全ての問題を

解決できなければならず


「チームメイトと

助け合う必要があるような選手は

個の力の弱い半人前の選手」

ということにされてしまうからだ。

しかし、

この論理こそ、

日本の頭のおかしな

反日サッカーマスコミ

反日スポーツマスコミ関係者

お得意の

「仲良しこよしはダメ

練習中はケンカ腰

グラウンド外では音信不通の

中田英寿みたいなのが正しい」


(↑は大ウソ、正解は、

お互いに何でも

言い合えるためには

表面上の仲良しこよしではない

家族のように

強いきずなが必要で

そのためには

グラウンドを離れた場での

チームビルディングが不可欠)


「エゴを出せばゴールは生まれる」

(↑も大ウソ、正解は、

エゴではなく

エースストライカーには

「チームの勝利に対する責任感」

が必要。

チームのことなんか

どうでもよくて

テメエの私利私欲でゴールを狙う

変質者的オナニーストライカーと

「チームが勝つためには

俺が決めるしかない」

という責任感を持った

真のエースストライカー

どちらに味方選手のパスが集まるか?

少し考えれば馬鹿でもわかる。)


この↑二つと同じように、

日本の反日サッカーマスコミ

反日スポーツマスコミの

倒錯した主張の最たるもので

本当の厳しさ、貧しさ、

「過酷な環境」というものを

実際に経験している人間は

オシムさんやドゥンガのように


「仲間同士、

チームメイト同士、

助け合わなければ

生き抜けない」


ということを強調する。

このことは

オシムさんが指摘していたように

サッカーの試合においても全く同じで

メッシもジーコも

自分の突出した個の力を

自分がおとりになり

敵を引きつけるという形で

仲間を助けるために

極めて有効に使っているし、

対戦相手のチームが弱ければ

個人、個人が

好き勝手にプレーしていても

勝てるが

W杯のような大舞台において

予選を勝ち上がって

準決勝、決勝と

相手が強くなればなるほど

つまり、

環境が過酷になればなるほど

「チームメイト同士が助け合う」

ということが

勝利のためには

絶対に不可欠になる。

(日本の頭の悪い

反日サッカーマスコミ関係者や

本田圭佑らの

「チームワーク・助け合い」を

軽んじる論法は、

要するに、

「俺はコンビニがあるから

一人でも生きていけるぜ」

といった類の

本当の貧しさや

過酷な環境をしらない

甘ったれた糞ガキの

戯言にすぎない。)


ところが

近年のサッカー日本代表

サッカー五輪代表では、

そういう現実と

逆のことが起きている。

サッカー日本代表の

全てのカテゴリーの選手の皆さんには

是非これから書くことに気づいて、

考えてほしいが、

それは、生前のオシムさんが

近年のサッカー日本代表、

五輪代表の試合に関して何度か

「決勝戦になると急に

日本代表の選手たちが

それまでとは違って

チームとして戦うのではなく

個人、個人が勝手なプレーをし出して

その結果、負けた」


という指摘を

していたことについてである。

ここからは私の推測になるが、

このようなことが起きたのは

サッカー日本代表、五輪代表の

個々の選手の皆さんに、

それぞれ

ほとんど専属のように

張り付いている

日本の頭のおかしな

反日サッカーライター

頭のおかしな

反日スポーツライターどもが

(個々の選手が契約している

エージェントやマネジメント会社も

グルになっている可能性がある。)


一斉に組織的に決勝戦その他の

「ある特定の試合」に狙いを定め

サッカー日本代表、五輪代表の

サイドバックまでも含めた

主として攻撃的ポジションの

選手の皆さんに対して

「この試合は

世界が注目しているから

自分をアピールすれば

欧州のビッグクラブに行けるぞ」


というような煽動工作を行い、

個々の選手を

自分勝手なプレーに走らせ

それまで長い時間をかけて努力し、

成熟させてきた

サッカー日本代表チームの

組織的連携を

意図的に機能させないように、

仕向けているからではないのか

ということです。

ここ最近の

サッカー日本代表の試合を

振り返ってみても

決勝戦に限らず

「今度の試合は

個々の選手が

自分をアピールする場」


というようなことを

日本のサッカーマスコミ、

スポーツマスコミが試合前に

大々的に騒ぎ立てたような場合、

そういう試合のほとんどが

不甲斐ない内容の

惨憺たるものになっているのを

我々日本人は

目撃してきたはずです。

サッカー日本代表選手の皆さん、

醜く愚かで卑しい

日本の狂った

鬼畜反日サッカーライター

日本の狂った

鬼畜反日スポーツライターに

もうこれ以上、

騙され続けないでください。

あのクズどもは要するに

ともすれば

私利私欲に走ろうとする

皆さんの弱い心につけこんでいる

悪魔みたいなものです。

奴らは皆さんが私利私欲に走り

日本代表の組織的攻撃が

機能不全に陥り

日本代表が敗れ去るのを見て

陰で嘲笑っているんです。

「自分さえ良ければいい」

「自分さえ目立てば、

日本代表チームなんか

どうなったっていい」


という

中田英寿や本田圭佑のように

醜悪な私利私欲に走るのではなく、

日本がW杯や五輪で

優勝することこそが最も確実な

欧州ビッグクラブへの近道です。


応援クリック↓


人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



よろしくお願いします。
スポンサーサイト



オシムさんが夢見た理想の日本代表

スポーツ文化
10 /23 2022
応援クリック↓


人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



よろしくお願いします。








「イビチャ・オシムの真実」より

以下、引用







炭運び少年イヴァン・・・・・

(イヴァンとはオシムさんのこと)

サラエボの貧民街では、

人々は良い意味でも悪い意味でも

ハーモニーの中で暮らしていた。

できる限り、近所の人々と

助け合うことが一番大事なことだった。

例えば、隣りに住んでいる老女のために、

自ら進んで買い物を済ませてやる、

といった具合である。

助け合う心がない子供は

家の恥
であり、

両親の面汚しだった。

毎年、冬が来る前にサラエボには

暖房用の炭が運ばれてきた。

この黒々とした、湿り気を帯びて

重い炭には固有の名前があり、

人々はそれを

ボスニアの炭坑地方の名前を取って

「クレカ」とか「ブレツア」と呼んでいた。

縫物の内職をしていたイヴァンの母親は、

炭についてはひとつの基本方針を持っていた。

近所に炭の配達があると、

息子(オシムさん)をその家に送り込み、

炭運びを手伝わせるのだ。

「カチカチに凍ってしまった手と炭の感触は、

今でも鮮明に思い出すことができる。

あの炭なしには

サラエボの長く厳しい冬を

越すことができなかった」

とオシムはしばしば回想する。

「山積みになった炭の塊は

見るに耐えなかった。

それがサラエボでの

楽しい子供時代を思い出させるとしても」。



▲以上、引用




上記の文章と

前々回のブログでオシムさんが

サッカー日本代表監督当時に出演した

NHKの番組での発言↓







「サッカーは集団スポーツです。

自分を犠牲にして

ピッチで走り回る無名の選手が沢山いる、

という事実が今、

忘れ去られているようですね。

そうした選手は人々の話題にはなりませんが、

それでも彼等は走り、

プレーし続けているのです。

だから、何であれ、

何かの役に立ちたいと思った時に、

私が今言ったことを思い出してください。

脚光を浴びる人もいれば、

縁の下の力持ちもいる、ということです。

サッカーは人生そのものだと思いますね。」







これらのオシムさんの言葉を見れば

オシムさんの

人生哲学、サッカー哲学は

一目瞭然です。

オシムさんは

「前回の東京五輪で

現役のサッカー選手として戦った

サッカー日本代表に対する印象」


等から

「日本には技術的、

戦術的には未熟でも

『チームの勝利に対する

自己犠牲の精神と責任感』

『仲間同士

助け合わなければならない』

という精神に満ちた

素晴らしい若者たちが

沢山いるに違いない。

そういう日本人選手と共に

日本人の美徳、長所を全面に出した

強いサッカー日本代表を築き上げ

W杯で世界の強豪を相手に戦おう」


と考えていたと見て間違いない。

ところが、

オシムさんが現役選手として戦った

前回、東京五輪当時の

日本のサッカー選手たちと

ジェフ市原に監督として

オシムさんが来日した当時の

日本サッカー、日本人サッカー選手の姿は

あまりにも違いすぎた↓







前略



メッシを見ればわかる。

彼がスプリントするときはつねに危険だ。

相手は必ず彼の後を追いかけることになる。

つまり彼はやろうとしていることを、

うまくやっているわけだ。

スタンドから見て、

彼が意味なく走っているように見えても、

彼は相手の注意を惹きつけている。

敵は彼の後を走り、別の味方がその恩恵を受ける。

彼のおかげでフリーになった味方が、

そのチャンスを生かしてゴールを決める。

そんなふうにしてうまくやるべきなのだが、

日本には同じようなプレーをする選手が誰もいない。

他人のために走り、スペースや時間を作る選手が」



(オシムさん著「急いてはいけない」

【ベスト新書】から引用)







「日本には

仲間のために走る選手が

誰もいない」

というのは言葉のアヤで

羽生直剛選手や佐藤勇人選手その他

オシムさんが監督を務めていた

ジェフ市原の選手や

オシムジャパン当時の鈴木啓太選手ら

オシムさんに直接教えを受けた選手の中には

「チームや仲間のために走る

日本人らしい選手」


いるにはいたが

あまりにも少なすぎた。

特に、

攻撃的ポジションの

ナショナルチームレベルの

日本人サッカー選手のほとんど全員が、


「日本の国民的スポーツとなった

サッカーに関する報道を利用して

日本人の伝統的な国民性を

徹底的に破壊し、

日本人を自己中心的な国民性に改造し、

日本人という民族共同体を

日本という国そのものを

弱体化させなければならない」


と狂信する

日本の不気味で頭のおかしな

反日サッカーライターども

(反日左翼系&反日コリア系)

による

「日本人には

エゴが不足しているから

得点能力が低い」


という

糞みたいな

プロパガンダ↓に完全に

エゴを出してこそゴールは生まれる

武藤嘉紀に求められる積極性


〝洗脳され〟

オシムさんの期待に応えられる選手が

ほとんど皆無だった。

(個々の選手が

ゴールを狙う積極性の源は

テメエのエゴイズムではなく

「チームを勝たせるために

俺が決めなければならない」


という

「チームの勝利に対する責任感」

であり、

「日本人FWは

エゴが足りないから

自分が狙うべき状況で

ゴールを狙わず

味方にパスする。」

のではなく

「『チームを勝たせるために

自分がゴールを

決めなければならない』

という責任感がないから

日本人FWは

自分がゴールを狙える状況でも

味方にパスする」のだ。

日本人サッカー選手の皆さんは

道に迷ったからといって

日本の頭のおかしな

反日サッカーライター

頭のおかしな

反日スポーツライターに

道をたずねてはいけない。

奴らは正しい目的地=責任感と

逆の方向=エゴイストへと

あなた方を導き、その結果

待っているのは破滅でしかない。


武藤嘉紀選手、岡崎慎司選手らが

急激に凋落していったのは

彼らが自ら

「エゴイストたるべし」

というような発言をするようになった

その時期と完全に一致している。

オシムさんが言ったように

日本人は日本人らしさで

大谷翔平のように

世界と勝負するべきで、

日本人が

日本人以外のものになろうと

必死になるのは間違っている。

日本人以外のものになろうと

必死になり成功したのは

中田英寿や本田圭佑のような

反日コリア人だけである。

【しかも、彼らは

イタリアで所属していたチームでの行動と

日本代表での行動を

二重人格のように使い分けていた。

ジーコジャパンでは練習中

日常的に

チームメイトに対してケンカ腰で

喚き散らしていた中田英寿は

ペルージャ、ローマ、パルマでは

チームメイトに対して

練習中そんな態度は

絶対に見せなかったし、

サッカー日本代表では、

ディフェンスを

さぼることで有名な

本田圭佑はミランでは

自分の評判が悪くなると

ほとんどディフェンスのみに

集中していた時期があった。

何しろ中田英寿も本田圭佑も

日本での図々しさとは

全く正反対にイタリアでは

現地マスコミと

チームメイトたちの間で、

ナ、ナ、ナント、

シャイ(内気で恥ずかしがりや)で

通っていたというのだから↓

「中田は(日本人だから)

表現力は制限されている。

閉鎖的な性格でもある。

試合前の準備時も1人だし、

1人でいるときが多い。

他人に心を開かない。

中田はもっと

コミュニケーションをとることを

学ばなければダメだ」

指揮官への服従を

宣言している中田は

懸命にアピールを続けている。




チームで最もシャイな選手を問われると、

「本田だね。すごくシャイなんだ。

でも、すごく礼儀正しくて丁寧なんだ」

と答えた。


どこまで猫をかぶっていたのか↑

呆れ返るしかない。

(イタリアでは

監督に対して

絶対服従を

宣言していた中田

イタリアではシャイで

礼儀正しく、丁寧だった本田、

こいつらはイタリアでは

日本代表にいる時とは

全く違って

周囲に対して

臆病で小心なまでに

気を使っていたのだ)


そしてこの

イタリアではシャイだったアホ二人

ドイツW杯とブラジルW杯で

本田圭佑の場合は北京五輪↓でも

3戦全敗の反町ジャパンに造反劇、

本田圭選手の発言に批判殺到。


サッカー日本代表を崩壊させた↑。】

香川選手、武藤選手、岡崎選手、浅野選手、

気づいてください。)


スポーツグラフィックナンバー1051

イビチャ・オシム

日本サッカーに遺した普遍の教え

という特集の中で

田村修一という人物が

オシムさんに関する

↓のような記事を書いているが







前略



日本代表監督に就任して以降の

オシムが掲げたのが

「サッカーの日本化」だった。

日本人の特徴を整理して、

その良さを出していく。

ただし彼が考える日本人の長所と、

日本人自身が考えるそれとは

必ずしも一致しなかった。

例えばオシムはこういう。

「日本人は献身的というがどうか。

本当に味方のために

走っているといえるのか」

守備では献身的にカバーするが、

攻撃となると

パスコースやスペースを作るために

走るわけではない。

思い込みと現実の間に

大きなギャップがあることを

彼は指摘した。



後略







攻撃的ポジションの日本人サッカー選手から

「献身性や自己犠牲の精神」を

去勢するための

「エゴバンザイ洗脳報道」を洪水のように

過去何十年間にもわたって垂れ流してきた

日本の

鬼畜反日サッカーマスコミ関係者

の一員として

上記の記事は

あまりにも無責任だとしか

言いようがない。


志半ばにして病に倒れられた

オシムさんの悲劇の責任は

日本の狂った

反日鬼畜左翼&反日鬼畜コリア系

サッカーマスコミ関係者の

悪意に帰するところが

圧倒的に大なのである。

現サッカー日本代表監督の

森保一監督には

出来得れば、

サッカーW杯カタール大会を

オシムさんの弔い合戦の場とするために

サッカー日本代表の

攻撃的ポジションの選手の誰もが

互いに仲間のために走り、

助け合うと同時に

「仲間のため」に

「チームのため」に

「日本サッカーのため」に

「日本のために」

「俺が絶対に

ゴールを決めてやる」

という

「日本代表チームの

勝利に対する責任感」


に満ちた

日本人らしさを全面に出した

オシムサッカー実現のため

努力して頂けるよう

切にお願いする次第である。


応援クリック↓


人気ブログランキングへ

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村



よろしくお願いします。

多聞兵衛