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大橋純子さんのシルエット・ロマンスが教えてくれるジェンダー平等思想の狂気

文化破壊
11 /25 2023
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よろしくお願いします。










大橋純子さん素晴らしい歌声と

沢山の名曲をありがとうございました。

大橋純子さんの御冥福をお祈り申しあげます。



大橋純子さんが歌う

シルエット・ロマンスの歌詞↓







恋する女は
夢見たがりの
いつも ヒロイン
つかの間の



鏡に向かって
アイペンシルの
色を並べて
迷うだけ



窓辺の憂い顔は
装う女心
茜色のシルエット



あぁ あなたに
恋心ぬすまれて
もっとロマンス
私に仕掛けてきて



あぁ あなたに
恋模様染められて
もっと ロマンス
ときめきを 止めないで



あなたのくちびる
首すじかすめ
私の声も
かすれてた



無意識にイヤリング
気づいたら はずしてた
重なりあう シルエット
シルエット



あぁ 抱きしめて
身動き出来ないほど
もっとロマンス
甘くだましてほしい



あぁ 抱きしめて
鼓動がひびくほどに
もっとロマンス
激しく感じさせて


あぁ あなたに
恋心ぬすまれて
もっとロマンス
私に仕掛けてきて



あぁ あなたに
恋模様染められて
もっとロマンス
ときめきを止めないで







大橋純子さんの大ヒット曲

シルエット・ロマンスを始め

昭和のラブソングの歌詞は

女性に特有の心理、

女心(おんなごころ)、

「女性の本能的な感性」のようなものを

明確に表現しているものが多いですが

芸術や文化に対する人間の感動は、

そこに表現されている

「男らしさ」や「女らしさ」と

密接に結びついています。

近年の日本のTVドラマや映画

あるいは歌謡曲・流行歌が

衰退の一途をたどり、

日本人の多くが

それらを見なく、

聴かなくなりつつあるのは

「人間の自然な本性」であり、

「人間らしさ」

「文明」「文化」と同義語である

「男らしさ、女らしさ」と、

その美しさを

フェミニズムというカルト思想に基づき、

「ジェンダーバイアスを助長する云々」として

芸能の分野において

否定したことによる影響が

非常に大きいと言えます。



(「歌舞伎の女形」や

「宝塚歌劇団の男役」等を除いて

現実社会における

女性の男性化、男性の女性化は

「野蛮化、非文明化」

以外の何物でもありません。)




当ブログの過去記事↓で、

不気味で邪悪な慶応高校・森林貴彦とその仲間たち



「戦国や幕末に生きた日本人が魅力的であるのは

死と常に隣り合わせのような時代には

否応なく男が男らしく、女が女らしくなるからだ」




ということを書きましたが、



「男が男らしく、女が女らしい共同体」

というものは

外部からの侵略や攻撃に対して

非常に強靭です。




闘争の中で生き残る共同体というものは

適材適所の共同体ですが、

それ(適材適所)こそが、

まさに

頭のおかしなフェミニストどもが

敵視、憎悪し、

徹底的に破壊しようとしている

性別役割分担に他ならないからです。



頭のおかしなフェミニストがよく、



「男が主導する国、社会は戦争を起こす

女が国家・社会を主導すれば戦争は起きない」




というようなことを言いますが、



「女が国家・社会を主導すれば戦争は起きない」



のではなく、



「女が国家・社会を主導すれば

(本来、男が分担すべき分野で女がでしゃばれば)

戦争をしても負けるだけ」




「女が国家・社会を主導すれば

戦わなければ国が亡ぶ事態に

立ち至っても戦えない。

(というか

「戦うくらいなら

日本が亡べばいい」

というのが

日本のフェミニストの本音)」




というだけで、



しかも、



全世界が同時に

女が主導する国家・社会になるならまだしも

日本のすぐ隣の

狂った軍事独裁殺人鬼国家である

チャイナやノースコリアは

女が主導する国家・社会には

まったくなっておらず



(日本の頭のおかしなフェミニストどもは

ノースコリアの「喜ばせ組」をどう考えているのか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%9C%E3%81%B3%E7%B5%84

是非とも知りたいものです。

恐らく

日本の頭のおかしなフェミニストどもは、

極左思想の塊のような連中なので、

共産主義独裁殺人鬼国家による

女性の奴隷化に対しては

何だかんだと屁理屈をこねて

擁護・容認するのでしょう。

本当に気持ち悪い連中ですね。)




未だに隙あらば他国を侵略し、

他国の人間を殺戮しつくす気まんまんで

そもそも日本が過去の時代に

女が主導する国家・社会であったなら

今頃は、

日本という国そのものが存在していないわけで、

要するに、

日本の頭おかしなフェミニストどもの本心は



「日本の男が男らしさを失い、

日本の女が女らしさを失えば

日本は国家共同体として、

どうしようもなく弱体化し、

チャイナやノースコリアによって

侵略され放題になるので万々歳」




だということにすぎません。



日本の過激フェミニストどもの

国籍や帰化の有無を調べてみれば

この連中の多くが半島からやってきた

「渡来人、帰化人の末裔」であることが

明らかになるでしょう。




日本国民が一刻も早く

「ジェンダー平等思想の狂気」に気づき

正気を取り戻し、

明治、大正、昭和の頃の

男が男らしく、女が女らしい

外部からの侵略に対して強靭な

国家・社会・共同体に

日本が立ち戻ることができるように

一人一人の日本国民が心がけていきたいものです。


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森林貴彦は極左プロ市民そのもの

文化破壊
11 /19 2023
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渡辺惣樹先生による保守と左翼の解説動画↓

(是非、最後までご覧ください。

今、世界がどういう状況にあるかわかります。)




不気味で邪悪な慶応高校・森林貴彦とその仲間たち

慶応高校監督=森林貴彦の犯罪を告発する

◆↑から続いています。



↑の動画の冒頭部分の要約が↓です。







左翼と保守の違いを簡単に言うと、

他者の考え、先人の残した知恵を

聞こうとする態度をとるのが保守、

他者の声を聞かず、自らが考える

より良き世界の実現にひた走るのが左翼。

左翼の源流はフランス革命、

革命家たちは自分の頭の中で考え抜いた、

あるべき社会を理想とする。

彼らには頭の中でつくり上げた

理想社会の設計図がある。

左翼は、

先人のつくり上げた社会を

アンシャンレジーム、

つまり

カビの生えた旧体制であると軽蔑。

そのような態度ゆえに、

先人の知恵に耳を傾けるはずもない。

左翼のこのような態度を設計主義という。

社会の前衛である賢明な我々(左翼)は、

より良き社会創造の設計図を持っている。

愚かな大衆は黙って我々の言う通り行動すればよい

と考える。

一方の保守は、

人間の頭脳では

複雑な人間社会を完璧に治めるための

設計図など作れるはずがない、と考える。

ゆえに先人たちの残した知恵を借りながら

ゆっくりとした社会改革を目指す。

フランス革命を厳しく批判した

保守主義の祖である

イギリスの政治家エドマンド・バークは

その著書「フランス革命の省察」の中で、



「革新(革命)に憧れる精神とは、

たいがい身勝手で近視眼的なものである。

おのれの祖先を振り返ろうとしない者が、

子孫のことまで考えに入れるはずがない」



と指摘する。



保守主義の祖エドマンド・バークの

「フランス革命の省察」を読めば、

左翼設計主義者の

幼稚さと乱暴さがよく理解できる。







左翼の愚かさに関する

エドマンド・バークの上記の指摘は

慶応高校野球部監督・森林貴彦の人物像に

そのまま当てはまります。

前回のブログ記事で引用したように、

スポーツグラフィックナンバー関係者とグルになり

高校野球の革命家を気取る

森林貴彦は↓のように







高校野球には

大人が作り出した強い固定観念があります。

全力疾走、汗、涙……。

それらを良識ある大人であるはずの

関係者やメディア、ファンが求め、

高校生が自由な意思で身動きをとれない状況は

おかしいと言わざるを得ません。








高校野球における全力疾走というものを

「大人が勝手に高校球児たちに

押し付けている固定観念だ」

と主張しています。



しかし、大谷翔平選手の恩師である

花巻東高校の佐々木洋監督の全力疾走に関する

↓のような教えを待つまでもなく、



「ベンチ入りした20名は

ベンチに入れなかった仲間たちの分まで

全力プレーする『義務』がある。

ベンチ入りができても打席に立てない仲間もいる。

だからグラウンドに立った者には

全力で走り抜ける『義務』がある。

『義務』と『権利』。その言葉を忘れるな」




全力疾走とは希望の象徴そのもので、

希望があるから

全力疾走するのではなく

全力疾走するから希望が生まれます。

全力疾走するのは可能性を信じている証拠で

全力疾走を怠るのは始めから諦めているからです。



「全力を尽くすところに希望が生まれる」

ということこそ

教育者として日本の若者に伝えるべき

最も大切なことなのに、

全力疾走を

「高校球児たちに対する大人の勝手な押し付け」

と決めつけ

さらには

「高校野球には

感動もヒーローも

ドラマもいらない」


とうそぶく森林貴彦は、

「自分の頭で考えること」ではなく

純粋な日本の若者たちに

「ニヒリズム(虚無主義)と計算高さ」を

刷り込んでいるだけです。

まさにバークの指摘通り、



「革新(革命)に憧れる森林貴彦の精神とは、

身勝手で近視眼的なもので、

我が国の先人の皆様方が継承してきた

全力疾走や

丸刈り文化を始めとする

高校野球の伝統や慣習を

思考停止と短絡的に断定し、

それらを破壊することに狂奔し

おのれの祖先を振り返ろうとしない者が、

子孫(日本の高校球児たち)の

ことまで真剣に考えに入れるはずがない」




のです。



高校野球の監督という職業の方々には

一種独特の同じような匂い、

風格を感じるものですが

森林貴彦の場合、

その風貌や顔つきに関して

高校野球の監督というよりも

極左の労働組合員

あるいは

沖縄の米軍基地反対運動で暴れている

極左のプロ市民というほうが

しっくりくる

という

私の第一印象は正しかったようです。




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多聞兵衛