古賀稔彦さんから日本国民へのメッセージ
スポーツ文化
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バルセロナ五輪(一九九二年)の
男子柔道71キロ級金メダリスト古賀稔彦さんが
3月24日に急逝されました。
https://www.nice.co.jp/wp/nbr/20191201_03/
古賀稔彦さんの生前の講演↑から
古賀さんの以下の言葉を引用させて頂きました。
▼
前略
オリンピックでは、柔道は常に金メダルが期待されてます。
私も優勝候補の一人に数えられて大きな注目を浴び、
ソウルに発つ成田空港では多くの声援を掛けていただきました。
しかし、この時(ソウル五輪)は
残念ながら三回戦敗退という結果に終わりました。
これに対し、メディアはかなり厳しい論調で記事を掲載し、
帰国した私は冷ややかな対応にさらされました。
私自身は、
金メダルを目指して精一杯に戦い、
真剣勝負の結果として負けました。
なぜあれほどまでに非難されなければならないのかと、
人間不信に陥りました。
街に出ると陰口を叩かれているように感じられ、
外出も控えるようになりました。
そのような中、
ソウルオリンピックの特番で私の試合を観る機会があり、
これに大変なショックを受けたのです。
私の試合後、
カメラは観客席で応援していた私の両親の姿を捉えました。
私はそれまで、両親は負けた後も
自分を見守ってくれていたのだろうと勝手に思い込んでいました。
しかし、そこには、私に背を向けて観客席に向かって
何度も深々と頭を下げている両親の姿が映し出されていました。
もしも私が優勝していたならば、
応援団への感謝の気持ちで頭を下げていたのでしょう。
しかし、両親は
「わざわざ応援に来ていただいたのに申し訳ございません」
という謝罪を繰り返していたのです。
私は一気に恥ずかしくなりました。
まるで悲劇の主人公のように嘆いていましたが、
戦っていたのは自分だけではないのだということを、
この姿に教えられたのです。
家族、一緒に練習をしてきた多くの仲間達、
そして、純粋に応援してくれた人達など、
私は実に多くの人々に支えてもらっていたということに、
ようやく気が付いたのです。
私が勝てば同じように喜び、
負ければ私以上に悔しがってくれる人達に
私は囲まれていたのです。
「彼らに二度とこんな思いをさせてはいけない。
そして、次こそは喜びを分かち合いたい」
とこの時に決心しました。
何より、彼らが喜んでいる姿を私が見たかったのです。
それ以降、私は勝負の場に立つ前に
自分を取り巻く環境を必ず振り返るようになりました。
これにより、自分は一人ではないという安心感を持って
勝負に挑めるようになりました。
ソウルオリンピックという夢の舞台で
負けたショックは大きなものでしたが、
それ以上に、
人は決して一人ではないと感じられる貴重な体験をし、
その後の大きな財産とすることができたのです。
二度目の出場となったバルセロナオリンピックでは、
事前の練習中にけがをするというアクシデントに見舞われました。
それでも、どんな状況、どんな状態であろうと
絶対に「恩返し」するという強い気持ちは揺るがず、
逆にそのけががあったことで更に多くのサポートをいただき、
金メダルを取ることができたのです。
▲以上、引用終わり。
古賀稔彦さんが生まれ育った佐賀県(鍋島藩)は、
「武士道というは死ぬことと見つけたり」
という一節で有名な「葉隠」のご当地ですが
(「葉隠」の著者・山本常朝が理想とする侍が
佐賀鍋島藩祖・鍋島直茂です。
朝鮮の役の際に現地で
常に鍋島直茂と行動を共にした加藤清正は
「鍋島直茂殿のおかげで、
朝鮮の役での戦は
自分の生涯で
最も戦いやすいものだった」と
後年振り返っています。)
「葉隠」の行動哲学を常日頃から実践し、
日本の国の危機に対する
日本国民の覚醒を願い信じて自決された
作家・三島由紀夫さんの著書に
↓のような言葉があります。
▼
「男の世界は思いやりの世界である。
男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
武士道の世界は、
一見荒々しい世界のように見えながら、
現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりの上に、
精密に運営されていた。」
(三島由紀夫著「葉隠入門」)
▲
古賀稔彦さんは
ご自身が運営指導する古賀塾や
様々な場所で子供たちに常々
「優しい人になりなさい」
「優しい人になるために柔道をするんです」
と教えておられたそうです。
古賀さんがソウル五輪で敗れた時、
ソウルの柔道会場で
日本から応援に来ていた人たちに
「申し訳ない」と
謝罪を繰り返していた古賀さんのご両親から
古賀さんは「自分のことより人のこと」という
古き良き日本人の美徳を受け継いでいたんですね。
古賀さんの「願い、教え」を忘れないようにして
我々一人一人の日本人が
少しでも古賀さんの教えを実践したり、
多くの人に古賀さんの教えを伝えることで
天国の古賀さんは
喜んでくださるのではないかと思います。
いつも少年のような笑顔で
我々日本国民に沢山の勇気や明るさを
届けてくださった古賀稔彦さん
本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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男子柔道71キロ級金メダリスト古賀稔彦さんが
3月24日に急逝されました。
https://www.nice.co.jp/wp/nbr/20191201_03/
古賀稔彦さんの生前の講演↑から
古賀さんの以下の言葉を引用させて頂きました。
▼
前略
オリンピックでは、柔道は常に金メダルが期待されてます。
私も優勝候補の一人に数えられて大きな注目を浴び、
ソウルに発つ成田空港では多くの声援を掛けていただきました。
しかし、この時(ソウル五輪)は
残念ながら三回戦敗退という結果に終わりました。
これに対し、メディアはかなり厳しい論調で記事を掲載し、
帰国した私は冷ややかな対応にさらされました。
私自身は、
金メダルを目指して精一杯に戦い、
真剣勝負の結果として負けました。
なぜあれほどまでに非難されなければならないのかと、
人間不信に陥りました。
街に出ると陰口を叩かれているように感じられ、
外出も控えるようになりました。
そのような中、
ソウルオリンピックの特番で私の試合を観る機会があり、
これに大変なショックを受けたのです。
私の試合後、
カメラは観客席で応援していた私の両親の姿を捉えました。
私はそれまで、両親は負けた後も
自分を見守ってくれていたのだろうと勝手に思い込んでいました。
しかし、そこには、私に背を向けて観客席に向かって
何度も深々と頭を下げている両親の姿が映し出されていました。
もしも私が優勝していたならば、
応援団への感謝の気持ちで頭を下げていたのでしょう。
しかし、両親は
「わざわざ応援に来ていただいたのに申し訳ございません」
という謝罪を繰り返していたのです。
私は一気に恥ずかしくなりました。
まるで悲劇の主人公のように嘆いていましたが、
戦っていたのは自分だけではないのだということを、
この姿に教えられたのです。
家族、一緒に練習をしてきた多くの仲間達、
そして、純粋に応援してくれた人達など、
私は実に多くの人々に支えてもらっていたということに、
ようやく気が付いたのです。
私が勝てば同じように喜び、
負ければ私以上に悔しがってくれる人達に
私は囲まれていたのです。
「彼らに二度とこんな思いをさせてはいけない。
そして、次こそは喜びを分かち合いたい」
とこの時に決心しました。
何より、彼らが喜んでいる姿を私が見たかったのです。
それ以降、私は勝負の場に立つ前に
自分を取り巻く環境を必ず振り返るようになりました。
これにより、自分は一人ではないという安心感を持って
勝負に挑めるようになりました。
ソウルオリンピックという夢の舞台で
負けたショックは大きなものでしたが、
それ以上に、
人は決して一人ではないと感じられる貴重な体験をし、
その後の大きな財産とすることができたのです。
二度目の出場となったバルセロナオリンピックでは、
事前の練習中にけがをするというアクシデントに見舞われました。
それでも、どんな状況、どんな状態であろうと
絶対に「恩返し」するという強い気持ちは揺るがず、
逆にそのけががあったことで更に多くのサポートをいただき、
金メダルを取ることができたのです。
▲以上、引用終わり。
古賀稔彦さんが生まれ育った佐賀県(鍋島藩)は、
「武士道というは死ぬことと見つけたり」
という一節で有名な「葉隠」のご当地ですが
(「葉隠」の著者・山本常朝が理想とする侍が
佐賀鍋島藩祖・鍋島直茂です。
朝鮮の役の際に現地で
常に鍋島直茂と行動を共にした加藤清正は
「鍋島直茂殿のおかげで、
朝鮮の役での戦は
自分の生涯で
最も戦いやすいものだった」と
後年振り返っています。)
「葉隠」の行動哲学を常日頃から実践し、
日本の国の危機に対する
日本国民の覚醒を願い信じて自決された
作家・三島由紀夫さんの著書に
↓のような言葉があります。
▼
「男の世界は思いやりの世界である。
男の社会的な能力とは思いやりの能力である。
武士道の世界は、
一見荒々しい世界のように見えながら、
現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりの上に、
精密に運営されていた。」
(三島由紀夫著「葉隠入門」)
▲
古賀稔彦さんは
ご自身が運営指導する古賀塾や
様々な場所で子供たちに常々
「優しい人になりなさい」
「優しい人になるために柔道をするんです」
と教えておられたそうです。
古賀さんがソウル五輪で敗れた時、
ソウルの柔道会場で
日本から応援に来ていた人たちに
「申し訳ない」と
謝罪を繰り返していた古賀さんのご両親から
古賀さんは「自分のことより人のこと」という
古き良き日本人の美徳を受け継いでいたんですね。
古賀さんの「願い、教え」を忘れないようにして
我々一人一人の日本人が
少しでも古賀さんの教えを実践したり、
多くの人に古賀さんの教えを伝えることで
天国の古賀さんは
喜んでくださるのではないかと思います。
いつも少年のような笑顔で
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本当にありがとうございました。
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