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日本大学アメリカンフットボール部フェニックスの危機に思う

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日本人の伝統的国民性が

TV番組制作者の間に存在していた当時の

日本の少年向けアニメ↓






https://dot.asahi.com/aera/2018052100055.html

以下↑の記事から抜粋引用

▼以下引用。

日大アメフト部の悪質タックル問題

過度な「勝利至上主義」が背景か


ボールを投げ、

無防備になった相手選手に

背後から過度の反則タックル。

背景にあるのは、

行き過ぎた「勝利至上主義」ではないだろうか。


中略

岐阜経済大学サッカー部総監督で

経営学部教授の高橋正紀さん(55)は

「起きたことすべてに責任を持つのが監督。

本来はスポーツマンシップを教える立場なのに」

と苦言を呈する。

「受け取り方に乖離があったのであれば、

危険なタックルをした時点で

すぐベンチに下げるべきだ。

それをしなかったのだから、

何らかの意図があったと

言われても仕方ない。

過度な勝利至上主義が

背景にあったのではないか」


中略

勝利至上主義は

日本のスポーツ界全体の

根深い問題であり、

スポーツをする意味の本質を理解しない限り、

同類の不祥事は永遠に繰り返されるだろう。

中略

スポーツ庁の鈴木大地長官が

「遺憾」「残念」を口にする場面を

今年に入って何度見てきたことか。

ライバルを陥れようとしたカヌーの禁止薬物混入、

角界の暴力、日本レスリング協会のパワハラ。

すべての問題の根底に、

「強ければすべて許される」

という価値観が横たわる。

後略

※AERA 2018年5月28日号

▲以上、引用終わり。

今や日本社会における大問題になっている

日本大学アメリカンフットボール部フェニックスの

宮川泰介選手による

関西学院大学QBに対する

卑劣で暴力的なタックルに関して、

冒頭にご紹介した記事のように

日本のスポーツ文化そのものを否定し、

その破壊を目論む

日本の頭のおかしな

反日スポーツマスコミ関係者が

意図的に論点をずらす

悪質な詭弁を弄していますが、


今回の卑劣な背後からの

暴力的反則タックルは

「勝利至上主義」が原因で起きたのではなく、


競技における試合に関しては

徹底的に勝利を追求しながらも

同時に

「教育、人格の向上」を目的とする

本来の伝統的な日本のスポーツ文化が

近年におよんで特に

著しく衰退、変質させられたことが

原因で起きたのです。

例えば、

日本の伝統的スポーツ文化を

敵視、憎悪し、

日本の伝統的スポーツ文化の破壊に

血道を上げてきた

日本の反日スポーツライターの代表格

玉木正之は次のように

「日本のスポーツ文化を

破壊するためのプロパガンダ」を

精力的に行ってきました。


http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_156.htm

▼以下、↑から抜粋引用

前略

日本の社会は、過去の長いあいだ

スポーツを

「教育」(体育)としてとらえ、

実践し続けてきた。

学校で行うスポーツの目的は

スポーツを通じた体力養成であり、

人格形成であり、

スポーツを通して社会的ルールを体得し、

協調性ある良き社会人を育成することである。


その「体育教育観」がスポーツとゴッチャになり、

今もスポーツの場で同様の考えを

最優先させている

スポーツ界の指導者も少なくない。

しかし、

W杯でプレイしている諸外国の選手には、

どこを探しても

「良き社会人」の姿など存在しない。

敵の選手への激しいタックル、

身体をぶつけ、ユニフォームを掴み、

スパイクの裏を使ってまで

敵の突進を阻止しようとする。

そしてゴールを狙う選手は、

それらの「暴力」に

負けることなくシュートを放つ。

彼らのボールを奪おうとする

ギラギラとした目つきは、

狂気を含むほどの野生の激しさに満ち、

「良き社会人」とはほど遠い。

しかしスポーツとは本来、

そういうものなかもしれない。


後略

▲以上、引用終わり。

W杯、五輪を例にとるまでもなく、

競技スポーツというものは

そのレベルが高くなるにつれて、

「遊び」よりも

「闘争」の側面が強く出てきます。

前サッカー日本代表監督ハリルさんが

日本人選手に不足している能力として

求めていたのも

一対一の闘争を意味する

「デュエル」であったことは

よく知られていますが、

(サッカーに限らず、

日本のすべての競技スポーツにおける

「闘争としての側面」を支えてきたのは、

スポーツに武道的な思想を取り込む

伝統的な日本独自の考え方であったり、

体育会系スポーツ文化の厳しい雰囲気

であったのが、

近年の我が国においては

「スポーツは遊び、楽しみ」

という部分だけが

過度に強調され

子供たちに指導されてきた結果

五輪やW杯では

生活や人生や「国の威信」を賭けて

闘争を挑んでくる

他のスポーツ強豪国の選手と

一対一で満足に戦えない、

ひ弱な日本人選手を

生み出してきたのであって、

玉木正之の言うような

「体育」云々とは全く関係のない話です。)

競技スポーツの世界で

「勝利至上主義」は不可欠なものであり

そこに

過度とか適度とかはありません。

勝利至上主義というなら

五輪やW杯での勝利が

選手たち自身の生活の安定と

密接に結びついている

他国(日本以外の)のほうが

遥かに勝利至上主義であることは

言うまでもありません。


しかし、

勝利至上主義が反社会的な

あるいは

間違った方向に向かわないように

ブレーキの役割を果たすものが

各国それぞれの独自の文化

あるいは

独自の国民性に存在するのであり、

そのブレーキの役割を果たすものが

我が国の場合、

スポーツを

「人格向上のための教育」

と関連付ける

伝統的なスポーツ文化であり、

あるいは、

命のやりとりをするような

真剣勝負においても

卑怯な行いは絶対にしない

という

武士道的な思想を根底に持つ

日本人の伝統的国民性だったのです。

ところが、

玉木正之のような

日本の狂った

反日スポーツライターたち、

あるいは

日本の頭のおかしな

反日スポーツマスコミ関係者たちは

文化(スポーツ文化)というものは

世界中の全ての国に

独自の在り方が存在し、

それは各国独自の

歴史や伝統や国民性と不可分である

という

当たり前の現実、常識を意図的に無視し、


日本のスポーツ文化は

欧米よりも劣っている

日本のスポーツ文化は間違っている

という

愚かな偏見、

自国に対する

「奇怪な侮蔑意識」に満ちた前提のもとに

「スポーツは本来、遊び、気晴らし」

であるのに

日本のスポーツは体育だから

「楽しくない」だの

「世界に通用しない」だのと

詭弁を弄し、

日本が世界に誇れる

素晴らしいスポーツ文化を

意図的に破壊するための

煽動宣伝を行ってきたのです。


次回へ続きます。

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